1974年の宇宙戦艦ヤマトと2010年の宇宙戦艦ヤマト

ヤマトの初回放映から36年もの年月がすぎたこと

 あの「宇宙戦艦ヤマト」がキムタクの主演で実写化されている。
 まだやってるのかと驚いたわけだけど、思えば最初の放映は1974年。今から36年も昔のことになる。

 初放映当時は、設定、映像、シナリオとすべてが斬新で、斬新なあまり、すぐには世間に受け入れられず、少しの時間をおいてようやく支持を得た。今も変わらず名作と言える作品だが、当時の新しさは陳腐化してしまっている。

 ヤマトの舞台は西暦2199年の未来世界なので、現代劇のような陳腐化は免れられるようにも思えるがそれは誤解であって、SF設定(未来予測)というやつは、その設定が考えられた時代の科学技術によって想像が制約されるために、1974年に考えられた未来世界と2010年のそれとは大いに違う。つまり想像された未来像も陳腐化を免れ得ない。

1974年では想像できなかった科学技術の進歩について

 SF作家の小松左京は、パソコンの登場のようなコンピュータの低価格化・パーソナル化をSFが予測できなかったのは大きな失態だ的な話をしたことがある。それくらい予想外の出来事だった。
 ヤマトといえば、少なくとも艦橋内にコンピュータの描写はない。松本零二が得意とする巨大なアナログ的な計器類が描かれるのみである。
 コンピュータは20世紀における最大の発明のひとつと言える。そして、それ以上にコンピュータの応用技術として現れたコンピュータネットワーク(インターネット)はより偉大な発明であり、これらは未来予測に与えるインパクトが大きい。

 現代においては、コンピュータネットワークにパーソナルコンピュータや携帯電話(的なものも含む)、カメラ、あらゆるセンサーが端末としてぶら下がり、いながらにしてあらゆる情報の取得が可能になっている。 
 ひいてはヤマトだが、当時はネットワークを利用した情報共有の技術が想像されていないため、情報処理の共同作業の必然として、20世紀の戦艦と同様に幹部は危険な艦橋に集合し、作戦立案・指揮を行なっている。現在的な感覚では非常に危険なことだ。艦橋を破壊されてしまえば幹部は全滅し、ヤマトは戦えなくなるのだから。しかも、艦橋は脆弱な設計になっているらしく、しばしば艦長席の側面の出入り口から爆風が吹き込んでくる描写がある。

 上で説明したネットワーク技術をもってすれば、ヤマトの幹部は艦橋に集合する必要がなく、特別に装甲を施した安全な区画に分散配置(同時に全員が戦闘不能になることを避けるため)され、コンピュータネットワークを通じて適切に情報を共有しながら、戦闘に従事することができるのだ。まあ、アニメの絵にはなりにくいんだけど。

2010年に想像するヤマトの装備

 ワープや、亜光速航行などの超技術を除いて、現在において想像できる2199年のヤマトはどうあるべきだろうか。
 先に述べたように艦橋は幹部の集合場所とはならず、その代わりカメラ・センサー群の設置場所になるだろう。指揮檣楼の最上階に設置されたあまりにも危険な艦長室は、平時においては展望台として解放され、戦闘時は無人となる。
 新しい指令所は、船体のもっとも安全な場所に分散配置されることになるだろう。
幹部たちは振動対策がなされた個人用装甲に入り、内部全面に展開されたモニタを監視しながら、作戦指揮を執ることになる。やもすれば、脳を直接コンピュータと接続し、他の幹部と情報のみならず感覚を共有しながら事にあたるのかもしれない。さらには高度な推論機能をもった人工知能群が判断をサポートする。
 徳川機関長が対応していた波動エンジンの管理は、スパナをもった人間が直接するのではなく、整備機能を有したロボット群や整備スタッフと感覚を共有したロボット(人間がさも自分が動いているかのように動作させることが可能というイメージ)が行なう。整備スタッフは幹部達と同様、個人用装甲の内部におり、安全が確保されている。
 なんかヤマトというより、攻殻機動隊的な話になってしまった。今となっては、攻殻機動隊が提示する未来のほうがヤマトのそれより、リアリティをもっているということなんだろう。

2010年に考えた2199年を描いてほしい


 ながながと与太を述べたが、どうせ作り直すなら当時の設定をそのまま踏襲するのではなく、設定を現在時点から予測可能な未来にアップデートしなければリメイクする意味がない。
 古い考えをなぞるだけでは新しい何かは生まれないわけで、大好きだったヤマトを蘇らせるのなら、これからの36年も生き続けられるように新しいアイデアと議論のタネを新規に埋め込んでおいてほしい。
 しかし、予告編でのキムタクは、個人用装甲どころか宇宙服すら着てない感じなので、非常に不安な感じだ。