日本の合理性について

日本人と合理性について調べていましたら、経産研究所のセミナー:「日本の合理性」の議事録に面白い記事を見つけました。
ソフトウェア分野で日本が弱い理由は何かを議論の出発点としているので、ソフトウェア開発の観点から考察されています。スピーカーの現状理解について割愛しつつ下記に引用しましたが、非常に濃い内容なので、あまり割愛できませんでした。

前提 ---

1. ソフトウェアは論理的存在である。合理的存在といった方がさらに良い。その合理性には社会学マックス・ウェーバーの合理性理論における「実質合理性:形式合理性」という一対の合理性が深くかかわっている。


2. この一対の合理性は相補的性格を持ち、特に環境の変化が激しいときは、十分な実質合理性に支えられない限り形式合理性は機能できない。また、実質合理性のみでは巨大システムを動かすことはできない(アジャイルは20名程度以上のチームでは機能しないともいわれている)。

日本人の特性 ---

3. 日本社会は伝統的に実質合理性の発揮に巧みらしい。自動車や家電製品といった比較的安定した「自然物ともいえる形式」を持つ製品の生産に実質合理性が十分発揮されたのが、トヨタ等の1980年代までのケースである。


4. 日本は形式合理的巨大システムの運用が苦手らしい。一方で「自然に」形式が与えられたとき(すなわち、「そうあるべきだ」という規範に議論の余地がないとき、枠が決まっているとき)に、それを運用することはむしろ日本は上手だが、それは柔軟に実質合理性を発揮するからだろう。


5. 「合理的形式」を作り上げる、たとえば、神学や哲学のような膨大な思想のシステムを作り上げるということは、日本は弱いらしい。

反証的な事柄 ---

6. しかし大野耐一たちがトヨタ生産方式(TPS)という方法と思想のシステムを作り上げたことは確かである。


7. これらの合理性は実は日本特有のものというよりは、西洋社会も本来持つ、普遍的な合理性の1つであり、明治の開国以来の西洋文明の一要素を日本が完全に消化しきり、さらには「実質合理性の運用に秀でる」というローカルな特性を活かすことにより、それを次の段階にまで進めたのだと理解した方が良い。(ジャスト・イン・タイム(JIT)の大野の実現法は米国のスーパーマーケットにヒントがあった。自働化等のTPSの多くの要素は大野が語っているように豊田織機以来のものであり、戦前の繊維産業は日本を代表する輸出産業、つまり、国際競争にさらされた「近代への窓」であった)。


日本人が西欧に比べて合理性(特に形式合理性)を獲得していないように見える理由は、単に日本人がその訓練をされてこなかったからだと私は思っていますので、上の議論は受け入れやすい内容でした。ちなみに、西欧人が合理性をどこで訓練したのかというと、狭い欧州の中で異文化同士の角突き合いをしてきた経験によるものだと考えています。

日本にも外国人が増え、職場、プライベートに関わらず外国人との関係性が深まっていくにつれ、異文化コミュニケーションを通じて、日本人も合理性を徐々に身に着けていくのではないかと思います。それは、異なる背景をもつお互いにとって「合理性」が一番了解しやすい考え方だからです。

おまけ:欧州の合理性についての面白いエントリ。ベルギー通信